某古都の大学と自分の思想

私は某古都の大学に通っている。iPSで一時期有名だったところ。


校風は自由だ。自由らしい。ともかく自由を謳っている。(幾つかの部分を除けば。これは今回の記事には関係ないので省略)

そのせいか、高校までに比べて圧倒的に生きやすい。
素直な欲求を世界の中で素直に認められることは、ストレスを生まない。



大学では、私の人生で初めて、信じるものや考えることがあまりに明示的に私と異なる多様な人々にすれ違った。以下に、わかりやすい例だけあげてみる。
全身ヴェールを被ったおそらくイスラム教徒の研究員。
新興宗教に分類される宗教を信じ、そしてその中で悩む人。
おそらく極左に分類される某思想を持つ人々。この間バリスト(バリケードを使ったストライキ)を行って停学処分を食らっていた。バリストやセクトなんて60年代学生運動全盛時代の言葉、私、この大学に入っていなければ知ることはなかっただろう…。



その中では、否応なく自分の思想が問われる。自分の信ずるところが、自分の心の中で問われる。
ある思想を根拠なく礼賛することの危うさ、未熟さを私は大学になって本当の意味で初めて受け入れた。非常に遅かった。


























そういえば、昔から自分の中にはある種の無批判な信仰性と神秘性に対する憧れがあったのか、呪術に分類される何やらかんやらに小学生でどっぷりはまったこともある。陰陽道や修験道関連の本を楽しく読んでいる小学生だった。民俗学ちっくなものも好きだった。別に後悔はしていないし、呪術の実践もしていないし、自分の世界はこういう世界を知ることで確実に豊かになったが、今思うと父母は心配しなかったのだろうか。
呪術の本を傍らに日経新聞も楽しく毎日読む日々だったが、無批判な信仰性という点では大差なかったんだよなあ。
近代のサイエンスより呪術に人生の中で先にはまったことに自分という人間を感じる。

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Commented by suzu62taha88 at 2017-02-28 10:28
読む本、聴く音楽、思想…。
子どもの頃の、興味のあることは、その時は普通に感じていて、背伸びをしていたわけではないのだけれど、振り返ってみるといわゆる年齢にそぐわない「大人」だったと思うことがあります。
それに関して友達と共有した事もないけれど、取り立てて意識もせず自然な日常でした。

にねさんのご紹介された呪術や日経新聞もそうなんだと思うのですが、人が興味を持ち、また、学びたいことは年齢に関係ないと思います。
画一的な教育の垣根を越えた大学でのそういった自由をにねさんは獲得され、夢への含みのある教育の場にいらっしゃることを羨ましく思います。
そういう意味では、そのレベルの学校に入れるといいのですが。
そうも行かないのが現実です。

思想も趣味も偏る事もなく、ラフに生きていきたいです。
Commented by pronaos at 2017-03-02 00:55
>suzu62taha88さん
年齢にそぐわず、そのことを友人とあまり共有せず、でも意識しない自然な日常。
本当に、まさしくその通りでした。
suzu62taha88さんの、言葉でつかみとる力に敬服しきりです。

全ての学びを望む人が、その人に一番合った場所で人生の好きなときに学べ、更にそれを世界の中で様々な形で活かせるのが理想なのですが…
ほとんど実現不能な偏ったユートピアであることは知りつつ、なんとなく夢想してしまいました。
by pronaos | 2017-02-27 23:48 | その他 | Comments(2)