刺激に対する依存の傾向

あまり褒められたことではない話、この傾向があります。
正確に言えば、自分の感情・論理性を熟慮を必要とせず呼び起こすような刺激に対して依存の傾向があります。

<例>
感情 : 家庭のいざこざをまとめたまとめサイト
論理性 : 出典、先行研究、文献を踏まえない議論

これらの刺激に溺れて夜布団の中でどうしてもスマートフォンの画面から離れられず軽く泣きながら朝になる(今思い出すとあれは底つき体験)という病的な事態は経験しています。奇妙な渇望。
何もすることがないのに相当な頻度でスマートフォンを手に取って刺激に指が走ってしまうという状態は継続中です。

でも、これらに溺れない熟慮を必要とする生活が嫌いかというと、そうでもない。むしろ私はそういう生活がしたい。

この2つを例えるならば、たとえがたとえられるものと近すぎる気もするけれど、週刊誌と純文学です。スナック菓子と手のかかった家庭料理でもいいかもしれない。



人生の中に週刊誌とスナック菓子が必要になることもあると思うんですよね。
社会的なものやインフォーマルとされるものに対する感度が低く、かつ当事者性のある物語にそういう知識が組み込まれていないと自分に引き寄せられない私は、ああいうサイトからこれから生きていく上で必要であろうたくさんのものを得ました。あれらの情報をああいう場所以外で効率良く入手する方法は正直思いつきません。

でも、サイト内の情報やそのパターンをある程度理解できてきてもうそろそろ読まなくてもいいだろうという段階に来ても刺激に引かれて読んでしまい時間を無駄にする、つまり自分にとって損であり大きな目で見れば苦痛でしかないことをやめられないのが自分の中で相当問題になってきたので、やめます。決意の書き込み。
ある程度断続的にやめる試みはしてきましたが、脳内の回路や物質がどうなっているのか不思議なことに、まだ少しでも触れるとあっちに走って行ってしまいます。一旦は完全に刺激を断つしかない。







自らがこういう状況に陥ってもなお、相手を言語によらず納得させずに行使されるあらゆる場面でのパターナリスティックな権力を自分が忌避しているのは、我ながら面白いと思います。
害を他者に与えていない限り(これは定義が難しいですが)パターナリズムを認めない。与えていたとしても、最低限度に留める。未成年相手だったとしても、認知に障害がある人相手だったとしても。
自分の思想的な核はそこにあるのかな。




『フランス人は10着しか服を持たない パリで学んだ"暮らしの質"を高める秘訣』(ジェニファー・L・スコット)
買ったのは少し前ですが、今の私には良著でした。
自分という人間にとって(そうでない人間を否定しない)、自分の感情・論理性を熟慮を必要とせず呼び起こすような刺激はlife(この単語は、英語のニュアンスのほうが言いたいことを言ってくれる気がする)の質を下げることはわかった。今だけではなく、ずっとそうなのだろう。

暮らしの質を高めていこう。

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by pronaos | 2017-05-07 03:31 | その他 | Comments(4)

あーちゃんママさんのこちらの記事
http://mathdragon.exblog.jp/23749646/

"こうして改めて読んでみると、(日本語では)何やら小難しい感じでわかり難い。(汗)なんでだろう? 
もし日本の大学で心理学を勉強しなければならなかったら、とてもじゃないけど、私は授業についていけないだろうなぁ。
余談ですが、これはいつも思うことなのですが、私はなぜか英語の文章の方がストレートに頭に入ってきて、日本語よりも理解しやすく感じます。"


について、思うところがあったので、私も書いてみようと思う(あーちゃんママさん、改行のみ改変の上で引用させていただきました><いつも面白いトピックをありがとうございます!)。


ほとんど英語ができない私も、学術関係の文章ではあーちゃんママさんが仰っているものとおそらく似た感覚を覚えたことがある。
これは私の場合だけれど、学術場面では、まずはテクニカルタームの日本語翻訳のまずさ故にこれに陥っている時があるのではないかと推測している。
明治時代〜現代にかけて新しい専門用語や専門用語に付随する動詞がたくさん輸入され、各語に訳語がつけられた。当然、その中には名翻訳もあれば迷翻訳もある。
結果、ことばをニュアンスとして解する傾向が強い人には、むしろ惑わすものとなる…という想像。英語は語の本来のニュアンスの中で読んでいけるし、そうでなくとも私は今のところ細かいニュアンスを英語では日本語ほど感じ取れない(ごめんなさい盛りました。ほぼほぼ感じ取れない)ので逆に言葉の形、骨組みのみがダイレクトに伝わってくる。
あと、これに関連して、日本語は膠着語なので一語一語が滑っていきやすい上に熟語の中に大量の意味を詰め込みたがるのに対し(私の文章が当にそうだ…)、英語はそれぞれの単語が明確に分かれていて文法も楽だししかも日本語よりは各単語の速度に緩急がないというのはかなり大きいように思える。きょうだいが教えてくれたが、日本語の下手な歌の詞は和語/漢語/カタカナのスピード感(情報量の多寡)の扱いがなっていないらしい。

でもこれではまだ説明できない領域があるんだよなあ…。「お手洗いどこ?」を日本語より英語で言うほうが直接的に思えるのは何故なのか。どんなに丁寧で礼儀正しい英語であったとしても。私が日本語に馴染みすぎているからか?
今度知り合いと話してみようかな。








そういえば、私は、昔から英語に相当手こずりながらも、日本語は絶対に科学技術分野のグローバルスタンダードになるべきではないと思っている。英語が大変なときは、英語が母国語ならある意味楽だったのだが…とたまに思うが、スタンダードを日本語にとは今はもう考えない。
一応書いておくと、もちろん日本語を貶しているわけではない。むしろ私にとって日本語を繰るのは面白い。日本語の性質の話。





さらにそういえば、心理学分野は特に日本語翻訳がまずい言葉が多い気がしています……。
一番馴染めないのが筆頭格のはずのcognitionって単語。認知って…認知って……。わかんない……。

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by pronaos | 2017-03-28 02:31 | その他 | Comments(5)

私は某古都の大学に通っている。iPSで一時期有名だったところ。


校風は自由だ。自由らしい。ともかく自由を謳っている。(幾つかの部分を除けば。これは今回の記事には関係ないので省略)

そのせいか、高校までに比べて圧倒的に生きやすい。
素直な欲求を世界の中で素直に認められることは、ストレスを生まない。



大学では、私の人生で初めて、信じるものや考えることがあまりに明示的に私と異なる多様な人々にすれ違った。以下に、わかりやすい例だけあげてみる。
全身ヴェールを被ったおそらくイスラム教徒の研究員。
新興宗教に分類される宗教を信じ、そしてその中で悩む人。
おそらく極左に分類される某思想を持つ人々。この間バリスト(バリケードを使ったストライキ)を行って停学処分を食らっていた。バリストやセクトなんて60年代学生運動全盛時代の言葉、私、この大学に入っていなければ知ることはなかっただろう…。



その中では、否応なく自分の思想が問われる。自分の信ずるところが、自分の心の中で問われる。
ある思想を根拠なく礼賛することの危うさ、未熟さを私は大学になって本当の意味で初めて受け入れた。非常に遅かった。


























そういえば、昔から自分の中にはある種の無批判な信仰性と神秘性に対する憧れがあったのか、呪術に分類される何やらかんやらに小学生でどっぷりはまったこともある。陰陽道や修験道関連の本を楽しく読んでいる小学生だった。民俗学ちっくなものも好きだった。別に後悔はしていないし、呪術の実践もしていないし、自分の世界はこういう世界を知ることで確実に豊かになったが、今思うと父母は心配しなかったのだろうか。
呪術の本を傍らに日経新聞も楽しく毎日読む日々だったが、無批判な信仰性という点では大差なかったんだよなあ。
近代のサイエンスより呪術に人生の中で先にはまったことに自分という人間を感じる。

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by pronaos | 2017-02-27 23:48 | その他 | Comments(2)

ナチスの強制収容所で死亡した音楽家たちが作った歌や楽曲を発掘してきたイタリア人指揮者のフランチェスコ。遺族や収容所跡を訪ね、死を目前に音楽に託した想いを蘇らせる。

14万以上のユダヤ人が送り込まれたチェコのテレジン収容所では、多くの音楽家が犠牲となった。凍てつく寒さの中、命の灯火が消えるまで曲を書き続けた作曲家もいる。またスロバキアでは、収容所での過酷な日々や家族への思いが代々歌い継がれている。フランチェスコは死と隣り合わせの極限状態の中で生まれた美しい楽曲を収集してきた。その音楽を演奏することで、曲に込められた音楽家たちの想い、平和への願いを現代に伝える。

原題:THE MAESTRO in search of the last music制作:Intutition Films & Docs/Les Bon Clients(フランス 2016年)


[初回放送]
2017年2月21日(火)午後11時00分~

[再放送]
2017年3月22日(水)午後5時00分~


NHKBS公式サイトより
http://www6.nhk.or.jp/wdoc/sp/backnumber/detail/index.html?pid=170221


イスラエル大使館もツイートしている。
https://twitter.com/israelinjapan/status/833934514296459264







ナチスの収容所も、アメリカの日系人収容所も、日本の捕虜収容所も取り上げている。


ナチスの収容所の、死人の皮を剥いで加工するための部屋で書かれた曲が存在する事実に人の尊厳を思う。
何かを語るとき、悲惨の淵を忘れてはいけない。幸いにも、幸いではないが、過去の/体験者の、映像/写真/音声が残っている、100年ほど前から今に至るまでは、少なくとも直視しよう。




悲惨に震えるこの感情が普遍的なものか。この感情は正義の根幹となりうるものか。この感情を根底にした議論の正当性は何か。
私は認知心理学にそれを問いたかった。

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by pronaos | 2017-02-21 23:17 | その他 | Comments(0)

『上位〜%』

「え?国語1000位以内じゃないの?」

先日、自分のセンター試験の成績を知人(関西で3指に入る私立中高一貫男子校の出身、私がそれなりに国語を得点源にしていたことを知っている)と見る機会がありまして、そのときの知人の言葉。
確かに、と、結構衝撃受けました。
正確には、あくまでセンター試験を受験したあとに受験者が学校や予備校から予備校のセンターに自己採点結果を送り、その結果が速報として帰ってきた成績であって、公式には順位等はわからないのですが、一応最大手では40数万人、80%くらいの受験生はまんべんなく捕捉できてるらしい。


全国1000位以内じゃなくてほんとごめんなさい。一応言い訳すると、一応得意科目だった国語は前はもっと(小学生である程度の規模の進学塾でよく10位に入るくらいにはトップクラス、中学校では全国1位もあったかな?)できたんですー
数学が苦手で高校2,3年ではそちらに注力した結果&本を小中と比較してほぼ読まなくなった結果なんですー
うあーほんとにごめんなさいー

……やっぱり鍛錬って大事だね。国語、ほぼ放置してたし。
確か、大学受験は総合点での勝負だからっていうので、点数の伸び代が大きい数学に時間を割いて、国語については才能というか昔の読書量とかの貯金頼りにしたんだっけ。授業中以外に問題解いた記憶があまりない。
良い家庭教師についてもらったからか、最終的に数学もセンター試験でほぼ満点、他の模試では偏差値にして70over〜くらいには引き上げたけどさ……。80は無理だったかな。覚えてない。あの時の家庭教師さんいつも散々質問して本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。




ここで、日本比較的ローカルの偏差値という基準を、他の国でよく聞く上位〜%に変換してみる。(正規分布に従う場合)

  • 偏差値60以上(あるいは40以下)は、全体の15.866%。
  • 偏差値70以上(あるいは30以下)は、全体の2.275%。
  • 偏差値80以上(あるいは20以下)は、全体の0.13499%。
  • 偏差値90以上(あるいは10以下)は、全体の0.00315%。
  • 偏差値100以上(あるいは0以下)は、全体の0.00002%。

計算が面倒だったのでウィキペディアさんより。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/偏差値




うーんまぁ……何なんだろうな………
思い出すのは、「偏差値75までは努力。そこから先は才能」って言ってた某塾(難関中高一貫校に受かった小学生を中学入学前から青田買いして東大医学部やらに入れるように育成する、事実東大医学部にたくさん送り込んでるそのかいわいでは有名な塾。私は途中で入って途中で抜けた)の講師の言葉かな………
現に数学では私は上記のリストによれば少なくとも上位2%以上は達成したらしいし………文系中だけども………


〜の教科が得意。たとえば国語が得意だったり、数学が得意だったりってどういうことなんだろうな………。



思いつくままに書いてきて、結局何が衝撃だったかって、「え、1000位以内じゃないの?」と言い放った彼と、全然頑張って国語を勉強していなかったにも関わらず確かにと思った自分、そこにある40数万人中1000位、つまり上位0.2〜0.25%という基準が"最低限"であるという世間からの乖離かな………。良い悪いの問題ではなくね。
そこに至るには純粋な知能のみではもちろん不十分で、環境と知能以外の要素(適性)が必要。


偶然自分がそれを許される環境にいる不公正。大学入試と社会階層の関係。受験の、能力をはかる手続きの手続きとしてのまずさ。
私はそれらが徐々に修正されていくべきものだと信じたい。

明らかに私の知性はもう「ただ与えられた(gifted)」段階から、訓練により大幅に変質している気がする。
教育によって変質するしなやかな知性の概念とIQの関係……ねぇ……うーん。

自分自身は受験勉強とかはまぁうん…って感じで、確かにやってたけど、
中学高校の時にはとある全然関係ないIT関係の試験の最年少突破できればいいなーみたいなこともやってた(一発で受かったけど受けることを思いついた時点で最年少は微妙な差で無理だった)なあ…そういや。
でもそのくらいか。あまり中高時代は積極的な人間ではなかったな。
多分、それこそアメリカとかだと、先生が課外活動への目を開かせたりしてくれるんだろうけど(そういうのを重視する入試制度自体の違い)、そもそもあの頃はいろんな可能性があんまり見えてなかったなー。
もっと広い世界を中高生に見えるようにする編まれた取り組みってどんなのがあるだろう。






まとまりのない文章、失礼致しました。

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by pronaos | 2017-02-19 21:49 | その他 | Comments(0)

内臓の感覚

私は、昔、精神だけで生きていた…
というと言い過ぎだけれど、身体感覚があまり無い人間だったように思う。
たとえて言えば、コンサートと対比したときのイヤフォンで聴くCD(notハイレゾ)みたいなものかな。
五感をあまり知らなかった。

しかしまさにたった今はといえば、身体感覚が暴れて仕方ない。胸の中が全力疾走している感じに近い。もしくは緊張している時。
ある時、とあるきっかけで自分の身体感覚が一気に目覚めたけれど、その時もこうだった。
今でもたまに起こるこの現象、厄介で仕方がない。そのうちおさまるだろうけれど。
感覚は、あえて開放するものではない。止められているし、特別の時に愉しむこともやめておこう。感覚は美酒だけれども、私は酔い過ぎる。
開放しつつ聞いたカノンの酩酊よ。





そのうち書き直すか消すか…

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by pronaos | 2017-02-14 01:11 | その他 | Comments(2)

辛い

身体と心が動かない
朝起きて世界が苦痛
周期的なものかそれとも


そういえば、一般的に、躁鬱は長期スパン(数ヶ月〜数年)ってのも面白い話だな
細胞レベルではどうなってるんだ?

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by pronaos | 2016-11-22 18:27 | その他 | Comments(3)

インターン

前の記事に書いた、ある研究所でのインターンについて。


振り返ると、非常にchallengingでinterestingな5日間でした。
様々な理由で、詳細を書けないのが残念です。
フルに自分を使うあの感覚、大学に入ってから初めてでした。

ラボのトップの先生から渡されたテーマは、最先端のもの。
共に配属された数人は、既にその分野に居て知識を持っていて、私だけ門外漢。
専門外の私に機会を与えて下さったその先生には感謝してもしきれません。
1日目はテーマの難しさすらわからなかった。



総括する言葉を書こうと思いましたが、
体験の渦を、まだ言葉にしたくない時期なのかも。
(万が一コメントとかがあれば、また書くかな)

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by pronaos | 2016-09-05 15:38 | その他 | Comments(0)

インターン行きたくない

折角ある研究所のインターンに受け入れてもらったのに…行きたくない。
日本トップクラスの研究者さん達。
トップクラスの周囲のインターン生(おそらく)

明日から開始。
1週間缶詰で毎日ディスカッションと実験の日々と聞く。




私は何が怖いんだろう。
何で行きたくないんだろう。

前の記事のようにまた吐露したいが、時間がない。
今はホテルに向かう電車の中。


もう少し、熟成させることを欲しているのかも…?
"時間がない"ってのは、そういう私の心?


研究所での1週間については、終わったらまたまとめようかと思います。

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by pronaos | 2016-08-21 21:58 | その他 | Comments(0)

あの日々に

整理しよう。
今整理しないと、駄目になる。少なくとも現状認識は明文化しよう。遅くても、書き出すことで何かあるはず。



さあ。

今、私は、
あの受験の頃、私の望ましい特質のいくつかが麻痺したことは明白で、望ましいものが開花したことも明白だと思っている。
そこで麻痺したから、中学からようやく深い感情が流れ出した。

ここまで書いて、
→私はセルフモニタリングが下手。ずっとそうだった。じゃあ、外部に頼らないと。過去の私を外側から見た情報を探そう。通信簿とかあの頃の作品とか。
→麻痺しなかった私は、きっとあのブログのあの人みたいになっていた。基礎スペックは勿論かけ離れてこっちが圧倒的に劣るけど。ありえないifを見た気分。
→あまりに浅薄。小学生の頃までの読書でここまで生き永らえるなんて。本を読んでこなかった、後悔。(今本を読めていたら、こんなこと書いていないのだ)
→→→あの頃を解凍(?)して、ああなりたくない気持ち。あの頃の今のいいとこどりなんて、できるの?



私のなけなしの社会性は、私の特質とのトレードオフである。
これは本当か?
大学に入って1,2回生の頃は麻痺の上に更に社会性の訓練的なことを自発的にした覚え。

まずい、泥沼に入りかけた。
私は、まず、どうなりたい?
・研究者。心理の。
・あの頃の世界を取り戻したい。ハイパーレクシア気味だった世界。自然と知識に誘われた、私の、幼い頃。

違う。
私が目指すところが過去に既にあってしまったことが問題の本質か。

・健康に、身体を保つ。
・良く老いる。

ああ、この2つも追加したいな。






喪った、冷凍された、麻痺した、死んだ、じゃなくて、一度弔うところから始めてみるか?
思えば、花を手向けたこともなかった。
歌ったこともなかった。



書いてみるものだな。

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by pronaos | 2016-08-10 02:46 | その他 | Comments(0)