『男性のスーツが世界で市民権を得たのは、一見、同じようなスーツを着ることで、出自や身分に煩わされることなく仕事や社交を進めることができる、という合理的な理由からである。ルールがあるからこそ、細部からその人の経済的・文化的な背景が伺える点も都合がいい。』

日本経済新聞 2017年4月16日
そしてスーツは個性をまとう









前の記事で、何かを理解するときに歴史を踏まえるということを書いていて、
自分がスーツについても同じ仕方で納得したことをふと思いだした。
なぜスーツを着なければならないの?理由は?必要性は?
「スーツ 何故」とかで検索すると、皆同じことを疑問に思っていることはわかる。
でも、この問いにこれほど明快に答えている文章を見たのは、この日経の記事が初だった。
贅沢を言うなら、この知見自体の出典を知りたいな。

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by pronaos | 2017-05-29 19:11 | Comments(0)

日本の学校の形

追記
自分をこの気づきに導いた肝心要の講義内容については触れていない。
ある1つの講義の中の先生の一言を引用するのは簡単だけれど、連続講義の文脈から離れて、私が理解したのと同じように受け取ってもらえるかはわからないから。
そして、自分自身で先生の言葉を正確にまとめ上げる段階にも自分はまだいないと思うから。
あくまで自分用メモになってしまっています。










今の日本の学校関係は何故ああいう形を取らねばならなかったのか(あれ以外の形では何故ないのか)という素朴な疑問に対して、


『日本の近代的国家としての成立の中での指導者たちの政治的思惑から、今に続く学校というものを考えよう』
自分が、今受講している小山静子先生の講義の中で伝えられていると思うこと。




学制そのものから時間管理、身体管理、学校そのものじゃない周り(学歴を重視する社会などなど)までえとせとら。今の時代、妥当性が感じられないことって多いですよね。

理由を説明されないままその中で生きる怒りみたいなものがここ10年来私にはあったのですが、やっと発展的に解消できそう。
今まで色々考えてきたけど、私にとっての納得はそっちにあったかー。

今までの自分を含む多くの人は歴史的事情を踏まえていない。もちろん、教師も。
だから、『何故社会の中で学校はこの形でなければならないのか』という私の問いに対して、納得のいかない一面的で突っ込みどころの多い答えしか私自身すら私自身に対して返せなかったのかな。
確かに、先生の話を聞くと、たとえば、自由なタイプのフリースクールの位置付けが理解できる。あれは寺子屋時代に戻るということで、拒否する人の根底の理由はそこにあるんだろう。


あー。歴史を知るってごくごくgeneralなやり方ではないか。
何故私は今まで……。。。
まぁ、私は、ruler側が何故そうしたか?という意図を大幅に省いた史実の記述(歴史の教科書の大半のページは私にとってそんな感じ)だけではあまり腑に落ちる性質の人間ではない。かといってあまり感情的な評論は好きではない。
なので、学校というシステムについて私にとって適切に教えてくれる人に出会うのが難しかった、んでしょう。多分。




大学の学部の最終学年になって正直単位のために取った講義でようやく意図せず出会った。
うーん…少し、自分が情けない。もう少し自分が積極的であればこの出会いはもっと早くなっていたのかもしれない。

小山先生の冷静でいて少し世相に皮肉めいたあの語り口も好きだし、著作リストを検索すると私が関心のあることそのものについて私が関心がある方向そのものから研究していらっしゃるみたい。
落ち着いたら読むかー。

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by pronaos | 2017-05-29 17:50 | Comments(0)

子育てはしていないし、年齢も低く、むしろまだ育てられているようなものなのに。

と、疑問を抱いた方もいらっしゃると思うので、記事にしておこうと思います。



理由としては単純です。
育児をされている方々のブログからは、当事者ブログよりも自分に必要だと思われる客観的に近い示唆や情報を多く受け取れるからです。
加えて、自分にとって当事者ブログには近すぎるがゆえの問題点があるからです。強く共感し過ぎて自分に支障が出るほど揺さぶられたり、色々。



でも、これだと受け取っているだけになってしまう。
私も、何かお返しできていると良いのですが。。

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by pronaos | 2017-05-08 17:14 | Comments(2)

刺激に対する依存の傾向

あまり褒められたことではない話、この傾向があります。
正確に言えば、自分の感情・論理性を熟慮を必要とせず呼び起こすような刺激に対して依存の傾向があります。

<例>
感情 : 家庭のいざこざをまとめたまとめサイト
論理性 : 出典、先行研究、文献を踏まえない議論

これらの刺激に溺れて夜布団の中でどうしてもスマートフォンの画面から離れられず軽く泣きながら朝になる(今思い出すとあれは底つき体験)という病的な事態は経験しています。奇妙な渇望。
何もすることがないのに相当な頻度でスマートフォンを手に取って刺激に指が走ってしまうという状態は継続中です。

でも、これらに溺れない熟慮を必要とする生活が嫌いかというと、そうでもない。むしろ私はそういう生活がしたい。

この2つを例えるならば、たとえがたとえられるものと近すぎる気もするけれど、週刊誌と純文学です。スナック菓子と手のかかった家庭料理でもいいかもしれない。



人生の中に週刊誌とスナック菓子が必要になることもあると思うんですよね。
社会的なものやインフォーマルとされるものに対する感度が低く、かつ当事者性のある物語にそういう知識が組み込まれていないと自分に引き寄せられない私は、ああいうサイトからこれから生きていく上で必要であろうたくさんのものを得ました。あれらの情報をああいう場所以外で効率良く入手する方法は正直思いつきません。

でも、サイト内の情報やそのパターンをある程度理解できてきてもうそろそろ読まなくてもいいだろうという段階に来ても刺激に引かれて読んでしまい時間を無駄にする、つまり自分にとって損であり大きな目で見れば苦痛でしかないことをやめられないのが自分の中で相当問題になってきたので、やめます。決意の書き込み。
ある程度断続的にやめる試みはしてきましたが、脳内の回路や物質がどうなっているのか不思議なことに、まだ少しでも触れるとあっちに走って行ってしまいます。一旦は完全に刺激を断つしかない。







自らがこういう状況に陥ってもなお、相手を言語によらず納得させずに行使されるあらゆる場面でのパターナリスティックな権力を自分が忌避しているのは、我ながら面白いと思います。
害を他者に与えていない限り(これは定義が難しいですが)パターナリズムを認めない。与えていたとしても、最低限度に留める。未成年相手だったとしても、認知に障害がある人相手だったとしても。
自分の思想的な核はそこにあるのかな。




『フランス人は10着しか服を持たない パリで学んだ"暮らしの質"を高める秘訣』(ジェニファー・L・スコット)
買ったのは少し前ですが、今の私には良著でした。
自分という人間にとって(そうでない人間を否定しない)、自分の感情・論理性を熟慮を必要とせず呼び起こすような刺激はlife(この単語は、英語のニュアンスのほうが言いたいことを言ってくれる気がする)の質を下げることはわかった。今だけではなく、ずっとそうなのだろう。

暮らしの質を高めていこう。

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by pronaos | 2017-05-07 03:31 | その他 | Comments(4)